2007-02-05
■ひとりっ子
編・訳者あとがきを読んでいて表題作「ひとりっ子」の最後の1行の意味を取り違えていた――というか自分が考えていた以上の意味があることに気がついた。
全体の印象としては、編・訳者あとがきにある通り、SF に慣れてる人じゃないときついかも。他の2つの短編集から先に読む方がオススメ。
■サーバソフトのバージョンを隠せ、だって?
Webアプリを作ったらセキュリティ屋に脆弱性を指摘された――そんなとき、「入力をサニタイズしていない」なんて言われたことはありませんか?
高木浩光@自宅の日記 - WASF Times版「サニタイズ言うな!」
(略)
そう。必要ありません。「それがセキュリティなのだ」「セキュリティのためには当然」なんてセキュリティ屋に言われたら、その人はもう信用しなくてよいです。
という言い方(表現の仕方)を見て、思い出したことが。
お客様のところ(正確にはお客様のお客様かな?)からトップダウンなのかな? 経緯は知らないけど、どこかの誰かがセキュリティのチェックをしてその結果が回り回ってうちの部署に来たという話。
サーバのバージョンが外から確認できる、っていう項目が"駄目"って来てる
らしく相談を受けた。
で、「そんなことを言うセキュリティ屋はそれだけで信用しなくていい」なんて話をしたのだった。
■プロフ
何かで読んだこと*1があるけど、これはまた深刻な問題――というと曖昧だな。解決するために何をするべきか、何ができるかがすぐには全く想像できないような問題だなぁ。
顔写真(プリ写真)は当たり前、本名だったりあだ名だったり、出身地や生年月日、彼氏・彼女の有無・いる場合はどっちがSでどっちがMかなど(!)、ガンガンに書いてます。
前略プロフにみるtinycafeさんを凌駕する思考を持つ人たち〓-〓Clear talks 2 oneself - 雑記ネタと戯言と。
もう一度言います。
それが小学生でも普通になっています。
コメントに、
絶対事件とかが起こらないと問題に気付かないと思う。
前略プロフにみるtinycafeさんを凌駕する思考を持つ人たち〓-〓Clear talks 2 oneself - 雑記ネタと戯言と。
とあるのは半分ぐらいははその通りだと思った。
■無理に否定しなくてもいいかも?
ただし、「こうやって一対一対応させていけば余るだろ」という風なのは駄目です。
(略)
0と1との間には無限の数が存在する。(例えば0,1、0,11、0,111、0,1111…と言う風に)
同様に0と2の間にも無限の数が存在する。
無限数と無限数は等しく、0と1の間の数、0と2の間の数はどちらも無限数であり、等しい。
したがって、1=2
http://q.hatena.ne.jp/1170662579
否定する必要はない。
「0」、「1」、「2」、「間」、「無限の」、「数」、「無限数」、「=」。
これら全てを定義し直せば「正しい」。
普通の感覚で捉えるなら「それは『=』の記号の定義ではない」で終わっちゃうんだよなぁ(ただし「無限数」という言葉に対しては定義を与えてやる必要がある。普通は使わないから)。もしくは、「『数』と『数の集合』が区別できていないですね」か。
……それはともかく。
「こうやって一対一対応させていけば余るだろ」ってのは何だろう?
ちゃんと余らずに「一対一対応させる」ことはできるわけだし(y = 2x のグラフを書いて考えるとちゃんと「一対一対応」することが――直感的にだけど――解る)。
「どちらも無限数であり、等しい」は正しくもあり間違いでもあり。「無限数」が定義されてないから細かい議論はこの延長ではできないけど。「0と1の間の数」と「自然数」とでは「どちらも無限に存在するが等しくない」という感じになるし。ここでも「等しい」を定義しないまま使っていることに注意。
■「無限の数」は数ではない
ではあらためて。
昔ふと思いついた事なんですが、以下の主張を否定し、根拠もつけて説明してください。
ただし、「こうやって一対一対応させていけば余るだろ」という風なのは駄目です。
(略)
0と1との間には無限の数が存在する。(例えば0,1、0,11、0,111、0,1111…と言う風に)
同様に0と2の間にも無限の数が存在する。
無限数と無限数は等しく、0と1の間の数、0と2の間の数はどちらも無限数であり、等しい。
したがって、1=2
http://q.hatena.ne.jp/1170662579
なんでこれを指摘する人が出てこなかったんだろう?
「『数』と『数の集合』を混同しているのが間違い」
まずそれを書いた上で順番に。
0と1との間には無限の数が存在する。(例えば0,1、0,11、0,111、0,1111…と言う風に)
同様に0と2の間にも無限の数が存在する。
ここまではok……のように見えるかもしれないけど実は問題を孕んでいる。それは次で。
無限数と無限数は等しく、0と1の間の数、0と2の間の数はどちらも無限数であり、等しい。
ここでまず引っかかるのが「無限数」という言葉だろう。
けれど、実はそれ以上に問題なのが「間の数」という言葉。「0と1の間の数」、「0と2の間の数」。このどちらも『数』ではなくて『数の集合』である。
それに気がつけば「無限数」を言い換えることができるだろう。
というわけで、一つ前の引用で問題を孕んでいると言ったのも同じ。「0と1との間には無限の数が存在する」は勘違いの元。「無限の数」は数ではない(これがエントリのタイトル)。ここは「0と1との間には無限に数が存在する」か「0と1との間には数が無限に存在する」と書く方がよいのではないか。
これで問題は無くなる。
「0と1の間の『数の集合』」と「0と2の間の『数の集合』」には「一対一対応」が付けられる。
y = 2x の関数、グラフを考えてみるといい。
[0, 1]の閉区間の任意の実数に対して、それを2倍した数が存在して[0, 2]の閉区間を成す。「こうやって一対一対応させていけば余るだろ」は間違いで、一対一対応は付くのである。
無限集合の考え方に慣れていないと、ここで訳がわからなくなるかもしれない。(そういえば「無限の果てに何があるか―現代数学への招待 (知恵の森文庫)(足立 恒雄)」で「有理数から実数への完備化は、有理数から虚数,複素数への完備化よりも難しい」という趣旨のことが書いてあったと思うけど、本当にその通りだよなぁ)
無限集合と有限集合とを隔てる決定的な違いは「無限集合は、真部分集合の中に自身との一対一対応を付けられるものが存在する」ことだと言ってもいい。少なくとも私はそうだと思っている。
自然数の集合と正の偶数の集合。1と2, 2と4,3と6,4と8,……。一対一対応がつけられる。
自然数の集合と整数の集合。1と0,2と-1,3と1,4と-2,5と2,6と-3,7と3……。一対一対応がつけられる。
(ちなみに自然数の(無限)集合と、任意の区間にある実数の(無限)集合の間には一対一対応は付けられない。可算集合、非可算集合、連続体仮説あたりのキーワードか、対角線論法をWikipediaで引いてみよう。)
ここで今までの分を書き直してみよう。
0と1との間には数が無限に存在する。(例えば0,1、0,11、0,111、0,1111…と言う風に)
同様に0と2の間にも数が無限に存在する。
どちらも無限集合を成し、0と1の間の数の集合、0と2の間の数の集合には一対一対応が付けられる。
とまぁこんな感じ。で、この「一対一対応が付けられる」ことを「濃度が等しい」と普通は呼ぶ。
これで終わり。最初の指摘の通り、『数の集合』と『数』を同一視はできないので、この後に「したがって、1=2」が続くこともないし、また続ける必要は全く無い。
■産む機械
メモです。
柳沢厚労相の元の発言を必ず最後まで読んでからお答えください。
-----
なかなか今の女性は、一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。
人口統計学では、女性は15から50歳が出産する年齢で、その数を勘定するとだいたいわかる。
ほかからは生まれようがない。
産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、・・・機械と言っては申し訳ないが・・・機械と言ってごめんなさいね。・・・あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。
1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。
2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。
それを上げなければいけない。
-----さて、新聞やTVがこれを「柳沢厚労相が『女性は産む機械』と発言した」と要約していますが
http://q.hatena.ne.jp/1170682019
*1 追記:日経コンピュータでした。
2007-02-04 ハチミツとクローバー 挿入歌一覧
■ハチミツとクローバー 挿入歌一覧
アルバムとの対応表。全曲集めたい人は参考にどうぞ。
曲名のリンクはiTunes Storeへのものです。
アルファベットはアルバムの識別で、下の方のAmazonへのリンクと対応しています。
I
1話 ハチミツ/スピッツ/AF
2話 8月のセレナーデ/スガシカオ/B
3話 月とナイフ/スガシカオ/AH
4話 波光/スガシカオ/C
5話
6話
7話 多摩川/スピッツ/D
8話
9話
10話 魚/スピッツ/E
11話
12話
13話 そろそろいかなくちゃ/スガシカオ/C
14話 Y/スピッツ/F
15話 夜を駆ける/スピッツ/G
16話
17話
18話 ユビキリ/スガシカオ/B
19話 黄金の月/スガシカオ/H
20話
21話
22話 月に帰る/スピッツ/F
23話 Room201/スガシカオ/B
24話 スピカ/スピッツ/I
II
1話 仲良し/スピッツ/P
2話 プール/スピッツ/Q
3話 ココニイルコト/スガシカオ/B
4話 ほのほ/スピッツ/R
5話 ジュテーム?/スピッツ/J
6話 ハッピー バースデー/スガシカオ/K
7話 夏陰 ~なつかげ~/スガシカオ/O
8話 リンゴ・ジュース/スガシカオ/K
9話 風なぎ/スガシカオ/N
10話 涙/スピッツ/L
11話 ふたりのかげ/スガシカオ/M
12話 田舎の生活/スピッツ/L
A
B
C
D
E
F
G
H
I
J
K
L
M
N
O
P
Q
R
2007-02-02
■科学と非科学
面白そうである。これからも読んでいきたい。
……でも、注目情報に「【脂肪燃焼】たった半年でダイエットなしでラクチン−12キロ?」が入ってきてる。これって、今のWebコンテンツ広告の基盤の部分にあるモンダイな様に思った。
■ルミナス
ぽかーん、と間抜けな表情になっていたかもしれない。
つい昨日まで、
を読んでいたので、数論に関する記憶野周辺のニューロンが再結線され、また「理解し直す」というフェーズにより長期記憶の中の様々な数学分野の間の関連づけも強化されていたはずだ。同時に「数学の歴史」と、自分の「数学の学習のステップ」も相対化され不可思議なタペストリーを作り、物語としての数学史に感銘を受けたばかりの今。
実は、
中の「ルミナス」を読みかけのまま、一旦「無限の果てに何があるか」を優先して読もうと判断したのだけど、いざ「ルミナス」に戻ってみたら……、あらびっくり。まさに数論や公理的・現代的数学観を巻き込んだ、そんなストーリーではないか。
もちろん「ルミナス」はSFであって、そのような部分よりもむしろ「世界のあり方」みたいな部分を――イーガンの「万物理論」や「順列都市」の方に近いかも――テーマにした話ではあるけど、しかし、これはまたなんてすごいタイミングと順番で本を読んでいるのだろうか。
と神秘的にも思えてしまうほどなのだけど、実のところ関心があるテーマだから近い内容の本を近い時期に読んでもあたりまえではあるのだが。
2007-02-01
■統計をとる、って言うなー!
最近類書を読んだり、Excelで実際にデータを加工することをしてみたりしているわけだけど、「統計をとる」という言い方には問題を内包しているなぁ、と思ったりしているわけで。
- 母集団、収集するべきデータを決定する
- データを収集する
- 統計処理を施す
日常的には、大体この3つのフェーズをひっくるめて「統計をとる」と言っているような気もするし、けれど多くの人は「データを収集する」の意味でしか捉えていなような気もする(これについては妄想)。
データを収集するには確かに政府機関などある程度の権力(Power)が必要なんだけど、その前の「母集団、収集するべきデータの決定」やその後の「統計処理を施す」部分はそれとは関係なく、統計処理に対する理解度とか、意志決定に歪みがない(なんとも曖昧な表現だけど勘弁……)とかそういう能力が必要。
この2つをバランス良く兼ね備えた組織を作る、育てるってのはすごく難しいような……。
交通事故の死亡件数が年々減少しているという統計があるけど、ここでいう死亡事故は「24時間以内に亡くなった事件」という定義なので、「救急医療の技術や体制の向上」からの相関があるので注意してほしい。
というようなことを免許更新時の教習で聞いた。
同じ話は、
やその類書によく出てくる話なんだけど、じゃあなぜ「死亡事故の定義を改めないのか」といえば……、やっぱりそこは「意志決定の軽快さに欠けるんじゃないの?」ということになってしまうんだろうなぁ。
本題。「統計をとる」って言葉が日常のビジネスなんかの会話にぽっとでてきたら、それってどういう意味? 母集団は? どういう分布を想定しているの? どういう指標を使うの? と相手に質問してみたり自問するのが吉。
■Java1.4以降はデフォルトパッケージのクラスをimportできない
Java1.3.x で時間が停止しているので知らなかった〜。メモ。
JDK1.4以降ではデフォルト・パッケージのクラスをインポートできなくなった
http://q.hatena.ne.jp/1170258562
■無限の果てに何があるのか
新入生に向かって極限の定義を教えるとき、きまってここで、人類の歩んだ無限に関する苦闘の長い道のりを思いやって感動を覚えるのであるが、そういう歴史を知らない学生のほうは、たんにむずかしい話を聞かされたという気分にちがいない。歴史を知る喜びは、それらの出来事を追体験できることにある。
p216 より引用。
この本を読む価値、読む喜びが、端的に表現されていると思う。
無限に関する苦闘の、長い道のりを追体験する。その喜びが、この本にある。
実のところ、初めて聞く話は、そんなに多くなかった。「知る喜び」ということで言えば、それほど大きくはない。
でもこの本は読んでいて面白かったし、そして楽しかった。
なぜか?
ここにストーリィがある。ドラマがある。
当事者たち――往年の数多の数学者たち――にしてみれば、ふざけるなという話かもしれないが、けれど「歴史」というのはそういう性質を少なからず持っているのではないか?
源義経、織田信長や明智光秀ときて坂本竜馬……。彼らの生き様に見るのと同じように、カントールやヒルベルト、ゲーデルといった数学者に――その生き様にストーリィやドラマを見たっていいじゃないか、などと、思ったりしたのだった。

