2006-06-03
■スモールワールド・ネットワーク
「スモールワールド・ネットワーク」よりも「六次の隔たり」の方がちょっと有名になってしまった感があるけど、
少数のランダムリンク(あるノードを他の無作為に選んだノードと結ぶこと)が、ノード間の距離に非常に大きな影響をもたらすことを発見した。
日本で広がるスモールワールド・ネットワーク - CNET Japan
グラフ*1で視覚的に見せられるとこうなるのか、と膝を打った。
「六次の隔たり」については、
日本のあるバラエティ番組で、「与那国島の日本最西端の地で最初に出会った人に友人を紹介してもらい、何人目で明石家さんまに辿り着くか」という企画が行われたことがある。結果は7人であった。
六次の隔たり - Wikipedia
とか。
以前に書いたエントリとして、
があるけど、これを書いた時の引用元、
最近ちょっと話題の『スモールワールドネットワーク』の基本概念
So-net blog:ペトロ三木の『アタマのおかしいブログ』:11月の「バカは死ね」&宣伝告知もろもろ
になってる『6次の隔たり理論』を最初に提唱した人物でもある。
はちょっと正しくなかったらしい。
ただし、ミルグラムは実験結果を示した論文『The small world problem』(1967年)で、“平均5.5人が仲介によって手紙が届いた”ことを報告したが、“世界中の人々が6人(5人の仲介者)でつながっている”というような主張はしていない。
六次の隔たり − @IT情報マネジメント用語事典
とあり、
『スモールワールドネットワーク』の最初の提唱者であり、『六次の隔たり理論』の基となる概念を発表した人
の方が正しいのか? と思った(@ITの方を鵜呑みにするわけでは無いけれど)。
■『1=0.9999…… ?』 続き
しかし、0.9999…… = 1 という"認識"には違和感をおぼえる人が結構いるようで。
『無限論の教室』のタジマ先生とか、
とかね。
\(\frac{1}{3}\)
という分数表現
10進数での 0.3333…… という循環小数表現
\(\displaystyle~\sum_{i=1}^{\infty}~\frac{3}{10^n}\)
という無限級数表現
3進数での 0.1 という表現
これらは表現方法こそ違えど、「同じ数」を表現しているんだという認識。それは「正しい」か「正しくないか」という問題ではなくて、「そうであった方が綺麗」という願い。そうであった方が様々なことが矛盾なく「綺麗に納まる」という事実。
ただ、それだけなんだろう。
1という表現
\(\frac{1}{3}\times~3\)
という有理数の乗算での表現
10進数での 0.9999…… という循環小数表現
\(\displaystyle~\sum_{i=1}^{\infty}~\frac{9}{10^n}\)
という無限級数表現
3進数での 0.1 × 10 = 1 という演算(10が10進数での3だよ)
これらを同じ数だと「認識したい」。
そのために、「有理数の演算の法則」や「循環小数表現」や「無限級数の収束」が定義された、と今はそう考えてる。
(繰り返しになるけど「無限級数の収束値」は定理じゃなくて定義だ)
まだ続くし。
追記
も理解の手助けになれば幸い。
■『1=0.9999…… ?』 まだ続き
の話。
>>1 は >>10 の言うとおりでもあり、昨日書いたことでもある。これは収束することが前提条件になっちゃうのでペテンに近い。
>>4 >>6 >>10 あたり。無限等比級数の収束値は、それが収束するという条件で「数として振る舞える」様に「定義された」、と考えるべきだろう。
>>17 これもあったか。
>>31 「厳密な極限やればわかる」は「厳密な極限を習った上であれこれ考えていくと納得できるようになる」かな?
>>67 から >>68 笑った。
というところでサゲと相成りました。
これから勉強していくと自分の認識も、また変わることもあるのだろうな。
それを想像して"楽しみだ"と考えられる人は数学が好きな人。
この文はテンプレート化できそうだなぁ。
それを想像して"楽しみだ"と考えられる人は○○が好きな人。
モンキーターンで、「SGって楽しいんだぜ」と波多野くんが青島さんに言ったのを思いだした。
*1 x-y平面を思い浮かべる人が多いだろうか?
2006-06-02
■だからスペースキーが長すぎるってば
に変化あり、とアンテナが教えてくれた。
"This summer"となっている"Optimus Upravlator"って何だろう?
変なマウスだ。
前のエントリ
■『1=0.9999…… ?』から『極限で使われる=は等号ではないのではないか?』や『テトラちゃんとハーモニック・ナンバー』へ
あぁ、そういえば、『無限論の教室 (講談社現代新書)(野矢 茂樹)』の中で、1=0.9999…… にまつわるお話が出てくるんだっけ。
この話は検索すれば色々と出てくるし、今さら改めて書くことは特にないんだけど、『無限論の教室 (講談社現代新書)(野矢 茂樹)』の中にこういう展開があるんだよ。
x=0.9999…… とする。
両辺10倍する。
10x=9.9999……
差をとる。
9x=9
x=1
これ、1=0.9999…… に関する話として常に出てくるけど、扱いに困る難物なのではなかろうか? などと最近思った(『無限論の教室 (講談社現代新書)(野矢 茂樹)』を非難しているわけじゃい。『オイラーの贈物』 asin:4480086757 でも冒頭に出てくるし)。
x = 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + ……
を考える。これは収束しない。もう少し正確に書くと「コーシーの定義を満たすような収束値がない」となるだろうか。
さて、
x = 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + ……
両辺に-1を足す。
(-1) + x = (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + ……
x - 1 = (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + 1 + (-1) + ……
右辺が -x の形になっているので、
x - 1 = -x
2x = 1
x = 1 / 2
……おや? となる。
なんでこうなるの? と考えよう。
難しい話じゃない。
無限数列の和に定数をかけたり、定数を足し引きしたりすることが許されるのは「無限数列の和が収束値を持つときだけ」だから。
収束しない無限数列に定数との四則演算をするのはそもそも「いけないこと」「おかしな結果を招くこと」なのだ。
で、最初の話に舞い戻る。
x=0.9999…… を10倍したり引いたりするには、それが収束することが条件なわけ。ところがx=1だということを説明するのに、収束することが前提条件な定数との演算をしているわけで……。
でもこれはしょうがない話でもある。
\(\displaystyle~~\sum_{i=1}^{\infty}~\frac{9}{10^n}~=~1\)
になるようにコーシーは収束を定義したのだし、このへんの因果は「卵が先か鶏が先か」ってなもんである。
さて、以上を踏まえてこのblogの過去エントリ、
とか、
の p16 の注釈2を読んでみよう。
(なんだい。結局自分の過去エントリの宣伝なのかよ?)
(そうでもないよ。0.9999…… を10倍して引いて、ってのが「あらかじめ収束することが判っている時だけ許される」ってのは本当に最近気がついたんだから)
(ふむ。「分数」、「循環小数」、「級数の収束(の定義)」、こいつらはより判りやすいものから学校で習うんだな? 全部習って、それからえらい時間をかけて理解に辿りつく。その道筋はなんか、ぐるっと一周して戻ってくるようなイメージだな)
(うん。「ぐるっと一周して戻ってくる」イメージってのは面白いね。1=0.9999…… は確かに昔から納得できていることなんだけど、その考え方はどんどん変わっていくんだ。でもそれがさ、1つの"正解"があってそこに近づいていくってイメージじゃないんだよね。うんうん。「ぐるっと一周する」か。なんかいいなそれ)
余談
私は分数をならった直後に電卓で遊んでいて、「1/3 を小数で表示すると 0.3333…… になるけど、それに 3 をかけても 0.9999…… になってどこまでいっても 1 にならないじゃん! なんで?」と思った口である。
誰にも話さなかったのか、話しても相手にしてもらえなかった(説明してもらえなかった?)のかの記憶は曖昧。
もうちょっと続く。
へ。
■クロサギ
TVを点けたらたまたまやってたからつい見たよ。
挿入歌が流れた瞬間、つい腹を抱えて笑ってしまった。漫画原作があるとギャップが苦しい。
ドラマなんて『ケイゾク』以来見てないしなー。
2006-05-31
■からくりサーカス 最終回
フェイスレスの最後の「仕掛け」は、『Q.E.D.』の『凍てつく鉄槌』に通じるものがあるなぁ、と思った。
何はともあれお疲れ様でした、と。
■盤上の四重奏
色々と問題のリリカル・ミステリー。
トリックやら仕掛けやらはおいといて、文章の持つ「読ませる力」はあるよなぁ。
キャラクターの配置から大体の構造が予測可能だという欠点が在るようでいて、逆に自覚的に利用しているような感じさえある。
「このキャラクターは○○だと思っていたけどここで退場しちゃうのか? あれ?」とか思っていたらしっかりと最初の目論見通りの立場で再登場。という感じ。
さてこれで、『白い花の〜』を読み返すことにしようか、と思った。後でもう一度読もうと思っていた作品でもあるし、ちょうどいいタイミングか。
■ニートについてあまり考えもせずぼそりと一言
「ニートが社会問題だ」などと"自分の頭で考えもせずに"叫んでいるお偉い方々の方が、ニートよりもよっぽど問題なんじゃないか?
■梶浦由紀っぽくないのに梶浦由紀だ
不思議不思議。
梶浦由紀節全開! って感じでもないのに聴いていると「あぁ梶浦由紀だ」と思える不思議。
結構気に入っている。
で、↑を買って Amazon のマイストアに出てきたのが、
これ。
なんでだろうと思ったら.hack//Rootsの OP と ED なのか。
■無限論の教室 最後に
さて、可能無限については先日のエントリで心残りはないけれど、
については最後に一言だけ。
この人、無限級数の和の定義が――もっというと定理ではなくて定義だってことが――分かっているのかな?
何の断わりもなく無限級数の和を論じている時にはコーシーによる定義を暗黙で使っているけど、コーシー以外にも無限級数の和を別の形で定義した数学者がいるってことも知っているのかな?
という疑問を持った。
2006-05-30
■Wiiという名前はWeb検索対策では?
一般語の Revolution よりも検索ノイズを減らせる、という理由もあったのでは?
■なんでコンピュータサイエンスの本に詩が?
第9章 整数除算 に続く 第10章 整数定数による除算 の最後のページ。
I think that I shall never envision
An op unlovely as division.
An op whose answer must be guessed
And then, through multiply, assessed.
An op for which we dearly pay,
In cycles wasted every day.
Division code is often haily;
Long division's downright scary.
The proofs can overtax your brain,
The ceiling and floor may drive you insane.
Good code to divide takes a Knuthian hero,
But even God can'y divide by zero!
ちゃんと韻を踏んであるしね。
最後が可笑しい。
割り算の良いコードはクヌース級の英雄を魅了する*1が、神でさえ0で割ることはできない!
■のこいのこ大全 がベストセラー6位って……
これがベストセラー6位(現時点で)にいるんだから Amazon って、変。
と、思ったけど変でもないのかな? どうなんだろ。
最近CD屋に全然行っていないから(Amazonのせいだ)判らないけど。
*1 正しい訳か自信がないが、次の行との関連を考えるとこうかなぁ...
2006-05-29
■こどものためのドラッグ大全
p166
ドラッグ問題について、良い情報も悪い情報も隠すことなく、また、偽りなく子どもたちに教えることだけが、ドラッグで引き起こされる悲劇を最小限にする、というぼくの考えに揺るぎはない。ドラッグ問題は「嘘も方便」ですますことのできる領域ではない。
というのがこの本の立場。例えば、
p30
アルコールはこの効果をあらわす量と致死量との差が小さいので、毎春、大学の新入コンパで「一気飲み」をして、急性アルコール中毒で死亡する若者が出るわけだ。
「この効果をあらわす量」というのは「ドラッグとしての効果をあらわす量」のこと。アルコールをドラッグに位置づけた上で――事実アルコールの飲用は理性を麻痺させ情動を増進させるし、依存症もある――ドラッグとしての効果があらわれる量と致死量という関連で説明している。
p106
ほろ酔いが血中アルコール濃度0.05%から0.1%、致死量が血中アルコール濃度0.4%以上だ。つまり致死量が薬効量の四倍程度でしかない。薬効量と致死量がここまで近いドラッグはアルコールと抗ガン剤ぐらいだ。つまり、「ずいぶん飲んでしまった」というだけではすまない。
急性中毒での致死量で言えばアルコールは抜群に危険だし、(現在は)合法ということもあって入手の難度も極端に低い。こういう視点からの説明は、単に「一気飲みは危険」と言うだけよりも、整然としていて説得力を持つ。
p34
よく、「天然のドラッグは依存もなく安全だけれど、合成されたものは依存があり危険だ」と太鼓判を押すひとがいる。「大麻(マリファナ)はナチュラルなドラッグだから大丈夫」などといわれたりもする。
しかし、これは誤った考えだ。世の中には、自然界に存在する危険なドラッグがたくさんある。その一方で、実験室で合成されたけれども、とても安全で、われわれの生活に大きく寄与している有益なドラッグがたくさんある。
ただし、ナチュラルなドラッグで、宗教的儀式などに太古から使われてきたものは、多くのひとが、長い時間をかけてテスト(人体実験)してきたものだから、つい最近実験室で合成され、まだあまり人体実験を経ていない新薬よりも安全であるのは間違いない。
「天然成分100%」なんてキャッチが横行しているけど、そんな戯言を信じちゃいけない。アスベストだって天然由来のものだったのだから。
あと"人体実験を経ていない新薬よりも安全である"とあるけど、これは当然用法のノウハウを持っていればということだ。科学的な解析(還元主義的な立場)ではなくて、経験知の集合ということだと漢方薬のそれに近いのかも。
p56
「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というポスターはきわめつけの洗脳*1ポスターだ。それに、この強烈なコピーのせいで、覚醒剤依存症から立ち直ろうとしているひとたちが、「非人間」扱いされることにより、かえって社会復帰を妨げられている、という皮肉な事態も起きている。
p134〜5
身近な友達や教師は、ドラッグ問題ではあてにならないかもしれない。(略)ドラッグを止めたいと思い切って相談したのに、相談した教師から「ヤク中」というレッテルを張られ、ひどく叱責されたひとをぼくは知っている。
警察や教育委員会に連絡されることもある(そうしないと教師自身が咎められるからだ)。教師がたとえ人格的、学問的に優れたひとであり、人間としては信頼できても、ことドラッグに関してあまり期待できないのは、彼らがドラッグ問題に関して、バイアスのかかった情報しかもっていないこと、そうした問題を扱ったことがなく、経験不足なこと、そして、違法行為を関係機関に通報しなければならない立場にいるからである。
きみが、なんらかのドラッグの依存症で苦しんでいるなら、こころの病気を扱う、病院の精神科や心療内科を受診することも大切だ。
どこかのページに「かつての精神病患者と同じような状況」という表現があったと思う(メモ取ってない)。
精神病、神経症などはいくらか状況は改善されてきつつあるのだろうが、ドラッグに関してはまだまだなのだろう。自分自身でなくても、周りの人間が上記のような状態にあって、その人から相談を受けたときやそうであるという事実を認識したときに、適切な対応が取れるだろうか?
ドラッグ=悪と決めつける様な資料ではそういったことが分からない。どんなドラッグを使っていて、どのような性質があるのか――つまり依存性が強いのかどうかとか、身体依存になっているのか精神依存になっているのかとか、そういった知識を得る機会がない。そのような知識を普段から持っておく必要はなくとも、どこでどうやって知識を得ることができるのか、もまた一つの知識であろう。
最後に、「エクスタシー」の項にある熱中症に関する文を引用する。
p77
しかし、それにもかかわらず、レイヴ会場などで誰かが熱中症で倒れ、意識を失ったなら、たとえ非合法なドラッグをやっていようがいまいが、そのひとを助けたいなら迷わず119番通報をして救急車を呼ばなくてはならない、ということは覚えていて欲しい。
追記
買ったときに書いたエントリにも引用したけどもう一度。
p57
「怖いぞ、怖ろしいぞ」とあまりに煽りすぎて、じっさいにちょっと手を出したひとが「なんだ、警察や世間でいわれているほど恐ろしくない」と思って油断し、次第に深みにはまり、だんだんとやめることが難しくなっていき、知らぬままに妄想に支配されて犯罪をおかす、という盲点や罠を見事に作り出している。
ネガティブ・キャンペーンに普遍的に存在する罠だと思う。
追記
この本に書かれていることが妥当かどうかということには確信が持てない。それは比較対象になる資料がないため。
■ジェニーの肖像
まだ1つだけ在庫あるなぁ(2006-5-29時点)。
切ない、切ないなぁ。
SF というよりも幻想譚。幻想譚というよりもラブストーリィだなぁ。
涙する、という感じじゃなくて、じーんと心にしみる、という様な素晴しきラブストーリィ。
「古き良き」ハリウッド映画ってこういうのをいうのか。
「同じ時代に生まれたのも偶然だ
こう思わないか
違う時代に生まれたら別の人を愛していた」
「いいえどんな時代だろうと愛するのは一人」
うわ〜。こうやって書いてみると歯が浮くな〜。だけどそういう台詞をなんのてらいもなく言ってみせることができる、そして感動を与えることができるのは、これが"幻想譚だからこそ"だとも思う。
の編集序文にももちろん名前が出てくる(これに収録されている『春よ、こい』恩田陸は傑作!)。
の「TTもの分類表」にももちろん入ってる(下巻はasin:4150308039)。
余談
最後の嵐のシーンはセットに低速度撮影で撮ったのだろうか? そうならすごくよくできている、と思った。1948年作品――『ゴジラ』の6年前――ということを考えると"よく撮ったなー"と思いながら見ていた。
最後の最後でテクニカラーを使うのも凝ってる。
■CSSのクリーンアップ
このような、CSS上で2重に指定されている要素や、未使用の要素の自動的に検出して、修正出来るようなソフトやテクニックを探しています。
人力検索はてな - 以下の内容のHTMLファイルと、それにリンクされているCSSファイルがあったとします。
類似。
CSSのクリーンアップ(プログラミング流に言えばリファクタリング)を「支援」してくれるソフトってあるものでしょうか。
人力検索はてな - CSSのクリーンアップ(プログラミング流に言えばリファクタリング)を「支援」してくれるソフトってあるものでしょうか。
*1 私はこういう文脈で"洗脳"という言葉を使うのは嫌いなのだけど……。

