2006-04-29 インターネットにおけるルール&マナーの教育の構図
■それはそれ、これはこれ
内容の方はしっかりと笑わせていただきましたが。
たしかに、Winnyの話題で「違法行為を蔓延させた刑事責任は出版社にある」という指摘が出てくるときに真っ先に槍玉に挙がるのは「ネットランナー」であることが多いが、実際のところ同誌はそれほど悪質なものではなく、セキュリティ対策をキチンと啓蒙するなどの良い点もあるとの主張を耳にすることもあった。
高木浩光@自宅の日記 - 編集長が見て見てと言うので買ったネットランナー5月号の仰天内容
ここだけ読んで、あれ? と思った。
「セキュリティ対策をキチンと啓蒙するなどの良い点もある」というのと「違法行為を蔓延させた刑事責任」に繋がりがないぞ。
「違法行為を蔓延させた刑事責任」が本当にあるなら――まぁそれを判断するのは司法の仕事だけど――「セキュリティ対策をキチンと啓蒙」していたからといって罪が減免されるわけじゃないでしょう? ということ。
追記:トラックバックを2つ出してしまった。迂闊!
ついでの追記
あたりの記事も含めて考えると、"一般ユーザー"に「Wordには脆弱性があります」とか言うと「それで書いている途中で消えちゃったりするんだ」とか思われていそう。"一般ユーザー"からすると脆弱性≒虚弱性なのかも。
ところで……、"一般のインターネットユーザー"ってどういう母集団なんだろう。
■インターネットにおけるルール&マナーの教育の構図
学校・教育委員会の無断リンク禁止の、あるいは、「サーバー様」から続く話題。
"財団法人インターネット協会" のサイト。「インターネットにおけるルール&マナー 公式テキスト」というものを出している。
だけどこのサイト、どうしたものか……。
ウェブページで見ることができる、他の人が書いた絵や文章、他の人がとった写真なども、勝手に使ってはいけません。使いたいときは、それを作った人(著作権者)から許可をもらうことが必要です。
インターネットを利用するためのルールとマナー集(こどもばん)
からたどっていく「解説」。
だれか他の人が書いた文章や絵を、自分が作るウェブページや宿題のレポートなどに使いたいときには、その文章を書いた人やその絵をかいた人(=著作権者)から許可をもらわなければいけません。
解説
嘘を子供に教えようとしている。いや、教えさせようとしている、か?
(引用)
著作権法
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
このことを伝えていない。(余談。2項に依り、学校・教育委員会のサイトが無断転載禁止とした場合には従わないといけないのだろうか? と思ったりして)
自分で作ったウェブページの内容には責任をもちましょう。いい加減な内容のウェブページを作って公開してはいけません。
インターネットを利用するためのルールとマナー集(こどもばん)
自分のウェブページを公開するということは、世界中の人たちが、あなたの作ったウェブページを見るかもしれないということをわすれないようにしましょう。
解説
と書いておきながら、「自分のウェブページを公開するということは誰かがそれを報道、批評、研究などの目的で引用することがある」こと、それが「著作権の侵害ではない」ことを教えないのはなぜだ?
リンクをはる前に、リンクするときの条件や注意書きがあるかどうかを確かめましょう。よくわからなかったら先生や親などに相談しましょう。
インターネットを利用するためのルールとマナー集(こどもばん)
リンクに対する条件や注意書きが何も書かれていない場合や、「リンクを貼るときには連絡をください」と書かれている場合には、リンクを貼る前に、リンクを貼りたい(相手の)ページ、自分のページのURL、リンクの目的、公開は学校内かそれ以外か、などを記述して、リンクの許可を得るようにしてください。
教師・保護者の方へ
リンクに関する注意を無視して安易にリンクをはると、リンク先の相手に不快な思いをさせたり、トラブルを生じたりする可能性があります。
もう一度問う。
「自分で作ったウェブページの内容には責任をもちましょう」と子供に教えるのは何のためだ? 間違ったことや事実ではないことを書けば、誰かに批判されるだろう。リンクに対する条件や注意書きを盾にとって、そんな批判を封じ込めることなどできやしない。
「リンクに対する条件や注意書きが遵守されるべきものである」と、「リンクに関する注意を無視して安易にリンクをはる」のがよくないことだと、子供に信じさせてはいけない。
自分が書いたことがWWWを閲覧する多くの者の目に晒される可能性があることを、正しく伝えなければならない。「リンクしないでください」と書くのは意味のないことだと、教えなければならない。
あの日、あのコメント欄に*1、「此れでも駄目なら、サーバー様に相談しますので」と書いた人が、あのあとどういう思いでWebを見ていたのだろう? どうしてあの人はあんなことを書いてしまったのだろう? 先生に相談したりとかしたのだろうか? 後になってから「リンクしないでください」と書くのは意味のないことだと、そう知らされたら、どんな思いを持つのだろうか?
真に問題なのは市発行の「保護者の皆さまへ インターネットの有害情報から子供を守ろう!」なんて紙(というか学校から配られたプリント)で紹介されているのが、上記のような内容のサイトだということ。
正しくないリテラシを植えつけられようとしているのは、子供達だけじゃない! その保護者達もまた、その危険にされられているんだ!
さらにさらに恐ろしいことに、正しくないリテラシを植えつけようとしているのが無自覚な学校や教育委員会、総務省・経済産業省主管の財団法人だというこの構図!
2005年7月のこれ。
10月のこれ。
これらを経てもなお、仙台市や北九州市の学校・教育委員会に変化がないのがなぜか? 10月の slashdot.jp の記事なんか、"仙台市や北九州市"と名指しされていて、当の学校・教育委員会にとっては結構な恥だと思うのだけど?
仙台市や北九州市の学校・教育委員会は結局何の議論もしなかったのだろうか?(ちなみに、こんなことが話題になってますよ、という情報は両方の市教育委員会のサイトやメールアドレスに対してポスト済なのだ)
仙台市や北九州市在住の、保護者達は何もしなかったのだろうか?
その問いの答えを「保護者の皆さまへ インターネットの有害情報から子供を守ろう!」のプリントにみた思いがした。
子供達だけではなく、保護者達にも、同じ様なリテラシが育っているのではないのだろうか? という、それはとても嫌な予感。
最後に。エントリ中で何の断わりもなく"リテラシ"と書いているけれども、これは全て本来ならば"ネットワークリテラシ"や"Web リテラシ"、もしくは"情報リテラシ"とするべきところを、くどくなるので省略しているだけ。勘違いなきように。
*1 なんのことか判らない人は、ちょっと右に書いてある"サーバー様"のリンクをご覧あれ。
2006-04-28
■今週の いい電子
4ページ目で爆笑(註:家で読んだ)。
よめそうなオチだけど、よまないで読んで正解(註:"よむ"は囲碁や将棋の"読む")。
■PCハイジャックで資金移動
攻殻機動隊 S.A.C. で、トグサくんの奥さんが「株でもうけちゃった〜」とトグサくんに話をしたあと、誰もいない部屋でコンピュータが勝手に立ち上がってセラノゲノム社の株の買い注文を出していたのを思い出した。
で、それを見た時は、その注文でインサイダー取引、というか捜査上で入手した情報を元にした株取引、みたいなことで査問とか懲罰を食らってトグサくんが自由に動けなくなるとか、法廷に引っ張り出されて課長や少佐も動きを封じられる、とかいう展開を予想した。のだけど結局何も無かったなぁ。消化しきれなかった伏線なのか、その後の展開で"説明しきっているのだけど私が判っていない"だけか。
にそのシーンがあったか、削られていたか。思い出せん。
■郵貯のインターネットバンキング
パスワード入力が、ソフトウェアキーボードからできるようになってるぞ。
2006-04-27
■「面白い」と「面白かった」
似ているが全然別な概念である。
少なくとも私はこれを使いわける。厳密には「面白い」にも2種類ある。
やっぱり映画を引き合いにだすのがちょうどいいか。
「面白い映画」というのは、少なくとも2回以上は観て、映像・脚本・演出について俯瞰で論じることができるようになって初めてできる評価。
「映画を観て面白かった」というのは、"映画を観ている間楽しめた"という評価。
――ややこしいのは、ちゃんと評価ができない状態で、メタコンテンツを観て「面白そうだ」というステートの時。この時にも「面白い」と使うことがありうる。「○○なあたりが面白い」とかつい書いてしまうことがある。気をつけよう。
前にも引用したことがあるけど。
押井守の映画「トーキングヘッド」から。
語られた映画とは実は常に映画の記憶のことでしかない
指し示すことはおろか引用すら出来ず
語ろうとする時には呈示することも不可能で
しかも他者との共時的体験すらない個的な経験
それが映画を観るという行為の実相だ
人は自分が観たものを言葉で表すことは出来ない
観るということと観たことを言葉で表すということの間には
結局は何の関係もないんだから
映画を観ること
観たこと
観た映画について語ること
そして映画を観ることについて語ること
これらの行為の間にはいかなる共通項も存在しないし
複数の人間の間に於いてはもちろん
同一の個人にとっても一本の映画が同じ体験として我々の前に立ち現われることは
テキストとしてのフィルムが単一の存在であるという幻想を前提としてしか……ありえない
■なるほど
結局、素人のロングテールに読んでもらうことを目指して書いてあるようだから、
ウェブ進化論 - わんこ日記 (2006-04-17)
半分ぐらいまでは読んだものの放っておいたのだけど、なるほど読んでいてどうもパッとしないなぁ、と感じたのはターゲット層とずれていたせいか。
自分が時代の最先端に追いついているとはお世辞でも思えないが、この本をあまり面白くないと思うぐらいの位置にはいるらしいぞ、と。
追記とトラックバック
エントリを書いた時点でトラックバックしなかったのには理由があった。
わんこさんが書かれた「素人のロングテール」の意味を図りかねていたからだ。
だって「Web進化論」の主なターゲット層は、ロングテールの側じゃなくて恐竜の"体"の側だ。本屋に行けば平積みされている本が"しっぽ"の側のはずがない。でも、これは単なる間違いとして指摘していいものかというと"そうではない"と、私の直感が引き留めていた。なので、その点は保留にして筆を置いた。
で、ここからはつらつらと考えていた結果。
これは"こちら側"と"あちら側"の対照性ではないか?
「Web進化論」で"あちら側"というフレーズが繰り返し使われる。モチーフといっていもいいかもしれない。
活字で出版された「Web進化論」から見るとネットワークは"あちら側"になる。ところが「『Web進化論』についてのネット上で記述」――つまり、「わんこ日記さんのエントリ」や「このエントリ」――からみるとネットワークは"こちら側"になってしまい、「『Web進化論』が流通しているところ」が"あちら側"になってしまうわけだ(以下もその様に読んでいただきたい)。
"あちら側"では「Web進化論」は、恐竜の胴体、もしかしたら頭部になる。しっぽは、まぁあらためていうことも無いだろうけど、全国の出版物の流通にはほとんどのぼらない書名も知られずに消えていく数多の出版物たちだ。
あるいは、読者という点から語ると、「『Web進化論』を一種の啓蒙書として読んでいる人達」が恐竜の胴体や頭部を「買い支えて」いるということになる。
では、「『Web進化論』を一種の啓蒙書として読んでいる人達」は"こちら側"では竜の胴体や頭部*1を「読み支えて」いる人たちになるか?
否。
と、ここまできて、わんこさんが、
素人のロングテール
と呼んだ理由に追いついたかな? と思った。
■ゲーム
なんか、今ひとつ。
夢オチならば道中どんな理不尽な展開であってもいいが、夢オチで無いならば様々なことに整合性をつけないといけない。
いや、そんなことはないか。面白さのために整合性を無視してもいいという局面はある。
でもパズラーやコンゲームでそれを許すと、作品の存在意義そのものが揺らぐことになるだろう。
ホラーっぽい短調でスローなオドロオドロしい曲と、ロックな曲を伴奏させた場面には感心した。
こういう作品を見ると「スパイラル」の歩君ってすごいよな、と思う。
■リアルな事実
という表現を見かけて、同義反復だ〜、と笑ってしまった(mixiなので引用はしない)。
でも後になって、違うか? と思い直した。
リアルな虚構。
フィクショナルな事実……いや、事実なフィクション?
ふむ。"ありそう"な表現だ。
あるいは、リアルという言葉をネットの対義語として捉えるとかもありか?
とか。
■何を書き込むのだろう?
とか書いてみたり。
掲示板への自動書き込みソフトでよいのがあったら教えてください。無料のがあったらそれが一番ですが…
人力検索はてな - 掲示板への自動書き込みソフトでよいのがあったら教えてください。
よろしくお願いします。
*1 というのは例えば「梅田さんのコラムやブログ」を思い浮かべてほしい。
2006-04-26
■bee or wasp?
日曜日に仮面ライダーを見ていた。
ザビーのキャスト・オフの時のボイスが "change wasp" だった。
bee と wasp って何が違うんだろ?
と、呟いたら子供(小1)が wasp はスズメバチだよ、と教えてくれた。
へー、そうなんだ、と答えてはみたももの半信半疑。だけど正解である可能性は、高い。後で調べてみると、果たしてその通りだった。
さすが。
話変わって。子供の英語教材のDVDを一緒に見ていると、密かに私の方のヒアリング能力も少しだけ上がってるな、と思う。
■カンパニーマン
主人公はスパイになる。
別の人間として潜り込む。別の人間を装う。別の趣味、別の名前。
フラッシュバック。
強いコントラストの映像。謎の美女。
別の趣味、別の名前が、現(うつつ)に。元の名前、元の自分が虚(うつろ)に。
スパイは、そのままダブル・スパイに。
洗脳*1は無効になり、虚だった元の自分を取り戻す。だが虚構だったはずの別の人格の生活はそのまま。
そこから、幾度も立場が反転する。
印象的なのは、意図的な白と黒のハイコントラストの映像美。でも、嘘くさい。リアリティを追求していない。
主人公の記憶があてにならない。虚ろな立場に追い込まれていく。
だから、嘘くさい映像でもok。全ては曖昧! 曖昧! 曖昧!
ストーリィ的には特筆するようなことはないかと。最後まで見終わると、どっかで読んだような話だな、という印象。「あっ、と驚く」ではなくて「あぁ、なるほど」という感じ。
でも、退屈を感じさせないで展開する、という点では及第点。
■ライトノベル「超」入門 早まったかも……
新城カズマの名前だけで注文したが……、店頭で流し読みしてから考えてもよかったか。
読んでも読んでも面白くない、というか「入門」する必要なんてないんだよね、自分の場合。
でもあとがきの最後、ルイス・キャロルから引いてきたところは唸ってしまう。新城カズマの文はどこにどんな仕掛けがあるか判らんからなぁ。最後まで読むつもりはあるが……といったところか。
余談
なんでオビにジェスターズ・ギャラクシーの表紙イラストが? さらに言うと最新刊のイラストじゃないのはなぜ?
■「入門」といえば
何年か前に、地下鉄で目の前に座っていたおじさんが読んでいた雑誌にひときわ大きな文字で「田舎暮らし入門」ってあったなぁ……。
「入門」することか? と当時は思ったものだが。
■Amazonのマイページもたまには……
先のエントリを書くためにカンパニーマンをAmzonで検索したわけだ。
するとマイページに上がってきたのは、
わはははは。なかなかいいチョイスだ。
ふむ。漫画や小説だと、同じ作者のものを引っ張ってくる傾向があって楽しくないけど、映画だと結構いいクラスタが作られているかもしれない(監督-脚本-役者の組み合わせ数が多いから)。
*1 という言葉は使いたくないが……マインド・コントロールでもないし。マインド・アップデートとでもいうか。
2006-04-25
■H.264って
MPEG-4 AVC という標準化がされているのに、そう書かない理由はなんだろう?
MPEG-2 と並べて書くなら H.264 よりも MPEG-4 AVC の方が収まりが良さそうなのに。
参考・関連
H.264 - Wikipedia
prima materia diary - メモリースティックDuoに録画してPSPで見る
■こどものためのドラッグ大全
p56
「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というポスターはきわつけの洗脳ポスターだ。それに、この強烈なコピーのせいで、覚醒剤依存症から立ち直ろうとしているひとたちが、「非人間」扱いされることにより、かえって社会復帰を妨げられている、という皮肉な事態も起きている。
p57
「怖いぞ、怖ろしいぞ」とあまりに煽りすぎて、じっさいにちょっと手を出したひとが「なんだ、警察や世間でいわれているほど恐ろしくない」と思って油断し、次第に深みにはまり、だんだんとやめることが難しくなっていき、知らぬままに妄想に支配されて犯罪をおかす、という盲点や罠を見事に作り出している。
理論社YA新書*1には他にもいくつか気になる本がある。
極めつけはこの本だった。
とにかく、正確な情報を日常的に目にすることができない。
どんな種類の薬が、どんな作用があって、どのぐらいの依存性があるのか? とか。
合法/非合法だって時代と共に変わってくる(シャーロキアンなら知っていることだ)。
「アダルト・チルドレン」がアルコール依存症の家庭で育った子供に問題が発生する、という事例に対する用語だということをちゃんと認識している人はどのぐらいの割合なのだろうか?(この本の中ではアルコールや煙草もドラッグの1つとして扱われている)
「恐ろしいもの」といって遠ざけるのではなくて、正しい知識を身につけることも、身を守る手段のはずなのに……。
ということで読むために買ってきた。
同じ叢書で他に気になった本
*1 YAはヤングアダルト。ターゲットとする読者層が中学生,高校生あたりの本のこと。図書館,出版用語と思っていい。元は心理学用語だっけっか。大人(アダルト)として扱われる年代の最も若い(ヤング)層という意味だったと思う。

