2006-04-14
■こんなUIのRSSリーダ(アグリケータ)欲しい
ベイジアンフィルタなどの評価手法を使い、利用者の好み/ニーズに合致する記事は初期表示で全文を画面に展開。そうでない記事は見出しのみ表示
■Palm TX 買ったものの……
今使っているTG50、新しいPalmwareとか入れて楽しむ、なんてことをもうしなくなって久しい。使い方が完全に安定してしまったっていうこと。
TX買ってはみたものの触って楽しむ、という気分じゃなくて「環境移行しなければ」みたいなタスクの様な気分。おかけであまり触ってない。
とりあえず、ホームボタン(一番左のハードキー)に自由にアプリケーションが割り当てられない(!)ので、
の ButtonsEx は必須。
とメモしておこう。
■トゥインクル☆スターシップ 10
ストーリー、進んでるのか?
本当なら一章ぐらいの内容のハズなのにバロータとマユミのエピソードを増やしたくて一冊にしたみたいな感じ。
ディジーのお部屋、久しぶりに面白かった。っていうか2周目って一体。
■TeX記法のテスト
\(x^{n}~+~y^{n}~=~z^{n}\) において、n >= 3 でこれを満たす自然数x, y, z はない。
\(x^{n}~+~y^{n}~=~z^{n}\)
において、n >= 3 でこれを満たす自然数x, y, z はない。
2006-04-13
■マウス オブ マッドネス その2
映画"In the Mouth of Madness"(DVDは asin:B00005HYWP)のノベライズ。
昨日の続き。
ノベライズより映画の方が面白いと思うのは何故だろうと考えていた。
映画版にこれほど惹かれる理由は、その高い自己言及性にあるのだと思う。
ということは、小説版は「映画のノベライズ」であってはならない。自己言及性が失われてしまう。「映画化の前に出版された大ベストセラー小説」という形である必要がある。
体裁だけでもそうなっているべきだ。
「朝松健の手によるノベライズ」じゃ駄目なんだ。「サター・ケーン著/朝松健訳 映画『マウス・オブ・マッドネス』の原作小説!」ぐらいのアオリでいいんだ。
あと、伊藤昭弘がベル☆スタア強盗団からワイルダネスへの流れで作った、2ページ目の「日本語版出版権独占」の表記。あれぐらいの体裁が良かったのでは?
体裁だけ整えてもしようがない、と言われればその通りだけど、ノベライズという体裁を取った瞬間にあの優れた自己言及性が失われる、というのも確か(だと思う)。
我孫子武丸氏が、
の後書きで「本当は『探偵小説』という小説か、『探偵映画』という映画であるべきだった」というようなことを書いていたと思う。
それが同様にあてはまるのではないかな。
■π進数
19:12 追記
途中の式――4 をπ進数で表現しようとした式――が思いっきり間違っています。が、最後の結論は間違ってないと思うので、とりあえずそのままにします。
ここでπ進数というのを考えて見ます。ある数がπ倍になったら桁が繰り上がるわけです。この表記を使うと、無理数であるπの表記が簡単になります。πをπ進数で表せば10です。これは2を二進数で表せば10になるのと同じです。
π進数などというものに必然性があるのかはともかく、こう考えると無理数でも確かに存在する数だというのが実感できるのではないでしょうか。Log of ROYGB - 10進数
SF的な発想をすれば、車輪生物がπ進数を使うということも考えられます。車輪生物が、自分の身長つまり直径に対して、1回転した長さ、直径×円周率を使って数というものを理解するわけです。
πは超越数なので、0を除く有理数が全て表現不可能なんですけど……。
とコメントをいれてはみたものの、怪しい……か?
有限の桁で表現不可能なのは確か。
でも、小数点以下無限の桁で表現可能か不可能か?
例えば 4 をπ進数で表現したい。記号 1 を使うとややこしいので I を使おう。例えば \(\pi^{4}~+~\pi^{2}\)
は I0I00 という表記になる、と。
4 が I.?????... という表記になるところまではすぐ判る。(19:12 追記 ここ、間違ってます。I?.????ですね)
\(\pi~+~a_{1}~\pi^{-1}~+~a_{2}~\pi^{-2}~+~a_{3}~\pi^{-3}~+~...~a_{n}~\pi^{-n}~+...~=~4\)
なる無限数列 \(a_{n}\)
が存在するか? ということか。
Windowsの電卓(関数電卓モード)を使ってちょっと計算してみるか。
4 -PI = 0.8584073464102067615373566167205 (1)
1 / PI = 0.31830988618379067153776752674503 (2)
I.I????だな。
(1) - (2) = 0.540097460226416089999589089975
……まだ 1/PI より大きいぞ。どうなってる?
そっか、各桁は [0〜π) の開区間を取るんだから当たり前なんだ。I と 0 だけじゃ表現できない。それぞれの桁に"[0〜π) の1つの実数"を表現することが求められるんだ。って、それじゃπ進数を考える意味が無くなっちゃうぞ。
あれ?
\(\pi~+~a_{1}~\pi^{-1}~+~a_{2}~\pi^{-2}~+~a_{3}~\pi^{-3}~+~...~a_{n}~\pi^{-n}~+...~=~4\)
の式に \(\pi^{0}\)
が出てこないのはなんでだ?(19:12 追記 式は間違ってます。でも、ここから下の論理は成立すると思います。)
……これは……つまり……乗算の単位元(10進数表現での"1")が、「π進数では有限桁表記できない」っていう事実を示しているのかな。
「10進数表現でいうところの"1"がπ進数では有限桁表記できない」のは分かってはいたけど、これじゃ困るな。
いや、発想を逆にしなきゃいけないのか?
「(自然数)進数の世界*1」でπが"超越数"であることの裏返しだ。
「π進数の世界」では、"乗算の単位元"が「(自然数)進数の世界」でいうところの"超越数"の扱いになるんだ!
……この辺にしとこう。考えたらキリが無さそうだ。
追記
本当に面倒くさくなって途中で書くのをやめてしまったのだけど、もしかして気がつかない人がいるかも、と思ったので追記。
ROYGBさんのエントリ中、
πをπ進数で表せば10です。
に登場する記号"1"や、私が
記号 1 を使うとややこしいので I を使おう。例えば \(\pi^{4}~+~\pi^{2}\) は I0I00 という表記になる、と。
として導入した記号"I"。
"これ"が"乗算の単位元"であり、"「π進数の世界」では有限の桁で表現できない(であろう)数"で、つまり"超越数"にあたる、そんな性質を持っている。
だから、「10進数ではπを正確に記述できないので"π"という記号を使って表現する」のと同様「π進数の世界では"乗算の単位元"を正確に記述することはできないので、"1"とか"I"という記号を使わないと表現できないんだ!」ということに気がついた、と、これはそういうエントリなのです。
追記 21:50
思いっきり間違えてたからこのエントリ自体「無かったこと」にした方がいいのかしらん?
とりあえず整理してみよう。
π進数が成り立たないということはすぐに判った。1桁(10進数の世界でいう"1の位")で、[0, π) の開区間を表現する必要がでてくるからだ。
次に思ったのはRYOGBさんが何の断わりもなく"1"という記号を使っているのが「まずい」と思った。普通に数として捉えると数直線で [0, π) の間にあるからだ。
零元として記号の"0"を使うのはまぁいいとして、"1という数"と"1"という記号を混同して使うのはよくない。
言い換える。乗算の単位元として"1"という記号を使うのはよくない。
ということで"I"という記号を導入した。
次にとりあえず、4 を表記しようとしたらどうなるか? と考えた。と、いっても、有限の桁では表記できるはずがない。でも無限に続く小数として捕らえることはできるんだろうか?
まず手作業で何桁か表現しようとした。
そこで単位元の捉え方が10進数の世界と異なるということが無意識に働いてしまったんだろう。思いっきり間違えてしまった。
で、思いっきり間違えた式を書いてしまったことで、逆に"単位元の捉え方が10進数の世界と異なる"というのがどういうことかに、強力に意識が向いてしまった。
\(\pi^{0}\)
が単位元にあたるはずなのに、この"数"は1桁目の [0, π) の開区間上に存在していている。
そしてπは超越数だ。n次の方程式の根としてπが表われることはない。だから最初の目論見ではもしも仮に――あくまで仮にだ――π進数を考えたとして有理数を表現できない、と思ったのだ。
ということは単位元でさえも、π進数では"超越数"的なことになるのでは? という方向に突っ走ってしまった。
まぁ、そういうことだ。
思いっきり間違えてはいるけれど、"楽しいから許す"という精神で残しておくので温かい目で見てやってください。
(楽しい……のか?)
(楽しいんだよ! 悪いか?)
追記
結城さんからコメントいただいた√2iを基数にするという話は、4/15にちょっとだけ考えてみました。
追記
を書きました。
■トマト銀行がNEC製勘定系の採用を白紙撤回
↓この話、日経コンピュータ誌の「動かないコンピュータ」で読んだ覚えがあるなぁ、と思った。ただそれだけ。
ところが、NECがBW21の開発にてこずったこともあり、第一号ユーザーである八千代銀行の稼働が2001年月から2003年5月にずれ込んだ。
トマト銀行がNEC製勘定系の採用を白紙撤回、日立製に切り替え:ITpro
*1 便宜上こう書いたけど当然1進数は存在しない。
2006-04-12 可能無限, マウス オブ マッドネス
■マウス オブ マッドネス その1
映画"In the Mouth of Madness"(DVDは asin:B00005HYWP)のノベライズ。
朝松健氏だ!
ということで読んでみる。
p62
「しかし、ケインは、他の作家とどこか違っているな。なんだか自分の作品は、全て真実だと信じているみたいな……」
「SF作家のヴァン・ヴォークトも同じそうだったらしいぜ」
……事実なのだろうか? ヴァン・ヴォークトは「非(ナル)Aの世界 (創元SF文庫)(A.E.ヴァン・ヴォークト/中村 保男)*1」の作者ね。
p82
見馴れたものが、すべて消えてしまい、見たこともないもので世界が埋め尽くされたら? あなたは、どうする? 最後の一人は、きっと怖くて寂しいわよ
あれ? この映画*2もこのモチーフで解釈していいんだろうか?
マチスンの「地球最後の男」
とか、その換骨奪胎、藤子・F・不二雄の「流血鬼」
のテーマだな。
p102 トレントの台詞
「なぁ、リンダ。いい加減、現実を見つめようぜ。これはケインの小説世界じゃないし、おれたちは奴の創ったキャラクターじゃない」
いい台詞だ。にやり、としてしまう。
p103 リンダの台詞
「(略)パトリシア・ハーストが過激派に誘拐され、洗脳され、同志となってしまった事件――」
んー。
p51
このように、パティがターニャに変わった過程は、もはや一九五〇年代の「洗脳」とは異なるものであることが示唆される。
パティはパトリシアの愛称。ターニャは過激派に参加する様になってからの自称。
この事件がちょうど「洗脳」と「マインド・コントロール」の端境にあたり、また「マインド・コントロール」という社会心理学的テクニックについての研究の端緒でもある。
なので洗脳という言葉にはちょっと違和感を覚えた。
ちなみにハースト事件は1974〜5年。カルト・マインド・コントロールが洗脳とは違うものであるとして区別されはじめるのが1980年代後半。
今だと、
が入手しやすいのかな?(と、思ったら、マインド・コントロールとは何か(西田 公昭) も増刷されてるみたいね)
p133 トレントの台詞
「昔、ホラー映画にこういうのがあったな。『死ぬまでジェシカを怖がらせよう』……その伝でいけば、今回のタイトルは、こうだ。『死ぬまでジョン・トレントを怖がらせよう』……違うか?」
渋っ。
邦題は「呪われたジェシカ」。
題名が出てくるのがトレントの台詞の中なので、原題の「Let's Scare Jessica To Death」の訳になっているところが、細かいなぁ。
でもトレントが観ていそうな映画には思えないのだけどね。
で、小説を読み終わった後で、ビデオを借りてきて映画を観てみた。
これで4回目ぐらいかな?
朝松健氏の筆を以てしても、この映画の面白さにはちょっと敵わないかなぁ、と思った。
ただ、映画では中盤で特殊メイクやクリーチャーが出てくるあたりが、実は一番怖くない。そこまでの「現実が変わっていく」という暗示的な描写の方が面白く思えて、クリーチャーが出てきた途端「いかにもなホラー」っぽさを感じてしまう。そこを通り過ぎるとまた面白くなっていくのだけど。
で、小説版の方はその中盤が、面白さが厚みを増して書かれていて、上手いなぁと思う。
あとは、ぱらぱらと感じたこととかを書いていこう。
ホラー好きな読者/観客なら「名状しがたい」という形容詞を期待するだろう、と思ってしまう部分が、映画字幕ではそうなっていなかった。
朝松さんはその辺りは外さない。小説を読んでいるので「そこはやっぱり『名状しがたい』って訳すだろう?」というポイントがハッキリ判る(英語のヒアリング能力が前に観たときよりも向上している、という要因も少しはあるけど)。
その1で書いた、
p82
見馴れたものが、すべて消えてしまい、見たこともないもので世界が埋め尽くされたら? あなたは、どうする? 最後の一人は、きっと怖くて寂しいわよ
の台詞は、確かに映画にもあった。
あと、小説末尾の解説を読んで初めて知ったのだけど、この映画、エンドクレジットに主要な登場人物がでてこない。気がついていなかった。
他にも小説を読んで初めて知って、映画を観て「あぁ本当だ」と思った点は多数あった。それだけでも、読んで良かったかなぁと思った。
映画には先行する小説群(主に Cthulhu mythos もの)へのジョン・カーペンターのオマージュが満ち満ちている。
それでだろう。小説の方では、逆に先行するホラー映画群へのオマージュが多数挿入されている。
で、
p200-201
「モーテルのTVで流れているSF映画は」、およそまともな神経ならば耐えられないものだった。主演はゴリラの胴体に、骸骨の頭、そして宇宙人のヘルメットを被ったチープな怪物だ。そいつが半裸の女を抱えて、のたのたと歩いていた。
「……見たことがある。『ロボット・モンスター』って映画だ……」
って、あんた、見たことあるんかい!
「ロボット・モンスター」という映画については、
に詳しい。なんとこの映画の記事に2ページを割いている!
編集者からのオーダーは「なるべく詳しく、『ロボットモンスター Robot Monster』(53年・未)の物語を紹介してほしい」という大胆不敵なモノである。映画史上最低の誉れも高きこのデタラメな映画を堂々と解説できる機会はもう二度とないだろーなと思うと、ちょっと震える。
タイトルバックはアメコミ風のレイアウトとオドロ系BGMのミスマッチが素敵。作曲はなんと巨匠エルマー・バーンステイン!
と始まる。
そのぐらいマイナな、けれどカルトな映画。あ、そのシーンでそんな映画がかかっていたっていうのも、小説を読んでなきゃ気がつかなかった点だな。
その2に続く。
■可能 その2
うーん。現代数学の側に居ると「可能無限」の世界って……想像できないというか。
多分こんな話は1998年以降山ほどなされていると思うのだけど、まぁ書き記しておこうか(なんで1998年なのかは後述)。
自然数は確かに無限に存在し、1,2,3,,,, と数え上げていくことができる。しかし、「自然数の集合」という概念は「可能無限」の世界では取り扱うことはできない、らしい。
と、いうことは、日常的に使っている交換法則や分配法則や結合法則さえも「全ての自然数で」成立するかどうか? を証明することができない、はずだ。
それどころか、100 + 100 = 200 という様な計算さえ、200 まで数え上げなければそれが正しいかどうか確認できないということになる、だろう。
100 + 100 = 200 だと例として不十分か。123 + 234 = 357 という計算をするにしても、意識してはいなくても 123 + 234 = 100 + 20 + 3 + 200 + 30 +4 = (100 + 200) + (20 + 30) + (3 + 4) = (1 + 2) * 100 + (2 + 3) * 10 + (3 + 4) = 300 + 50 + 7 = 357 という様に、交換法則や分配法則や結合法則を使っている、と思う。
ということは、ここにでてくる一番大きい数、357 まで数えあげつつ、式の変形の途中で使っている諸法則が成立することを確認していって、初めて 123 + 234 = 357 が真であると確信できる、ということになるのではないか。
国家予算規模の数字を扱おうと思ったら、「可能無限」の世界に生きている人々は、どうするのだろうか?*3
1998年という年について語ろう。
この本が出版された年だ。
ちょっとした確認をしてみた。
これが、
All The Web で、1998年8月31日以前で"可能無限"を検索した結果。0件だ。
で、こちらが、
1998年9月1日以降で"可能無限"を検索した結果。
はい。見事に偏っている。
事実を示すのみにしておこうか。
ちょっと前にも引用したのだけど、
この本は、純粋に公理から出発して、「数」や「可算」や「加算」や「交換法則」や「分配法則」や「結合法則」を導き出すという小説。ということで「実無限」側に立っている本。
p142
2×π≡π+πを正当に証明できるけど、π+πを有限回の手順で計算できるとは限らないってことね。神様だけが計算を終えられるけど、人間にできるのは証明を終わらせることだけってこと。
これを読むと、「可能無限」の世界って、π+π=2π ですら人間の手では導き出すことができない世界だな、とそう思うわけで。
にコメントがついたぞ。ワクワク。
しかも可能無限を受け入れられる人 = 無限集合公理の不在を受け入れられる人、みたいだ。
私は、
を読んでおらず、Web上に散見される、メタ・コンテンツだけしか目にしていない、と立場を明確にした上で。
ZF公理系から無限集合の公理を取っ払ってしまうと、「自然数」の定義が無くなってしまう。ということは「全ての自然数」についての定理(=公理から導出できる命題)が全てチャラになってしまう。
前のエントリでも書いた様に、交換法則や分配法則や結合法則でさえも「全ての自然数」で成立すると言えなくなる。
無限集合が無くなると、自然数をn進数で一意に表現することもできなくなる。だって \(\{2^{0},~2^{1},~2^{2},~2^{3},~2^{4},~,,,\}\)
や、\(\{10^{0},~10^{1},~10^{2},~10^{3},~10^{4},~,,,\}\)
というような無限集合が考えられなくなるわけだから。
実無限は無限集合の公理でやっと存在が担保されるものですよね?
結城浩のはてな日記
3の存在にはそんな仮定がいらないから「可能3」って意味不明です.
とコメントがついているけど、そんなことはない。
3という自然数も「無限集合の公理」が無い世界では、公理から導出できないんだから。3 のZF公理系での定義は {φ, {φ}, {φ, {φ}}}。空集合の公理と無限集合の公理が無いと存在できないでしょ?
追記:あ、なるほど。対の公理があれば {φ, {φ}, {φ, {φ}}} まではいくのか〜。無限集合の公理がなくても「全ての自然数」に対する命題が言及可能なのかな? 勉強不足なので判断できないです。まぁ、少なくとも、この段落は読み飛ばしてもらっていいです。
追記の2:んー? やっぱり、対の公理では自然数を定義できない様な気がするんだが……。勉強不足だなぁ。
追記の3:追記の2は無かったということで。
この混乱が起こったのは、最初に挙げた本の著者が哲学者だ、ということにあるみたいだ。
ZF公理系から無限集合の公理を取り除いた上で、そこにどんな公理を付け足せば自然数や自然数が持つ性質――演算や比較の定義、その性質――を保持する新しい公理系を作れるか? が説明されていれば、まぁ納得できるのだろう。
けど、Webで検索してメタ・コンテンツを読む限りでは、どうもそうではないらしい。
最初に挙げた本のカスタマーレビューにも、
筆者が哲学者ゆえ、数学者は本書を足蹴にしているようだが、
という文が見られるけどそうじゃないんじゃないだろうか。
「実数という考えは無限集合の公理をよりどころとしているんだよ。無限集合の公理なんてアヤシゲなものを取り除いてしまうと実数なんて概念は霧散してしまう」と説明しているサイトは数々あれど、「無限集合の公理を取り除くと自然数の定義もあやふやになってしまうからこういう公理を付け足す必要がある」とは説明してくれない。だから数学者はこの本に価値を見いだすことができないんじゃないかな。
現代数学の公理系から「無限集合の公理」を取り除いて、替わりになる公理を提唱しないなら、数学は(おろか「算数」のレベルの定理群までも)全て瓦解する。でもそれは当たり前のこと。
ZF(C)公理系は数学者達が細心の注意を払って磨き上げてきた「玉*4」だもの。まぁ、もっとも、無矛盾性は証明できないわけで、もしらしたらとんでもないところから「矛盾を孕んでいる」なんていう疵が見つからないとは、誰も言えない。
余談
にこんな会話がでてくる。
「数学は自明である公理から始まり
そこから定理を導き出して命題を証明する
現代数学の公理は集合論だ
その前提となるものは何だ?」
「空集合φ つまりゼロが存在する」
この巻が出版されて初めて読んだ時は、この会話の意味を正しく捉えていなかったんだな、と今になって思う。
追記
可能無限に関しての私の結論は、
で書いた。
■自分の言語をGloriaと名付けようと思ったものの、家庭内での混乱をまねくのは明らかなのでやめた
ウケタ。コーヒーを飲んでいる時じゃなくてよかった。
私: 今日、Rubyがおかしくなっちゃってさあ。
Matzにっき(2006-04-06)
娘: え?
2006-04-11
■新機種プレスリリース
「FMV-DESKPOWERシリーズ」のラインナップを一新 : 富士通
「FMV-BIBLOシリーズ」のラインナップを一新 : 富士通
新機種発表のプレスリリースが火曜日っていうのは珍しいな。
Web上のプレスリリース更新よりも、週アスの記事の方を先に読んじゃった、ということになっちゃった。
週アスのサイトを見てみると……「今週のFocus」に載ったのは富士通だけで、こっちの
個人向けパソコン「VALUESTAR」「LaVie」新モデルを発売(2006年 4月11日): プレスリリース | NEC
NECの方の記事は載っていない。
と、いうことは、富士通が4月11日発表を先に決めて雑誌メディアにも事前に情報を出した。それで、後からNECもプレスリリース日を合わせてきた、という格好なのかな? と勝手に想像してみる。
■可能
ネットを見ていると、ときどき「可能無限」と「実無限」という用語を見かける。この用語が適切なものかどうかはさておき、無限をこうやって区別したい人は、3を「可能3」と「実3」に区別しないのかな、と思った
結城浩のはてな日記
結城さんの日記に興味があって読んでいるならば、そのほとんどの人は数学の公理系を受け入れているのではないかなぁ、と想像します。なので「可能3 って何?」みたいな。
「実10000」と「可能10000」ぐらいだと意図が掴みやすいかも。
「実10000」は「10×10×10×10 のこと」で、「可能10000」は「1*1から始めていって10000まで数え上げた時に初めてその『数』を10000と定義する」って感じ?
*1 公理に出てくるのは空集合φなので、0から、の方がいいのだろうか?
2006-04-10
■無限大の過大評価 再び
あぁ、今ごろになってROYGBさんが、「テトラちゃんとハーモニックナンバー」を読んでどう認識したのか、その思考がトレースできた(間違っていたらごめんなさい)。
p7で調和級数に対して \(S_{n}~=~\sum_{k=1}^{n}~\frac{1}{k}\)
という記法\(S_{n}\)
を定義した。もちろんこのnが取り得る値は自然数の範囲ということになる。
p14 で \(S_{n}\)
のうち、\(n~=~2^{m}\)
となる部分和だけを取り出して、その性質を考察した。
p15 で一般化して、
\(~S_{2^{m}}~\geq~1~+~\frac{m}{2}\)
とした。これは何かというと、
\(~S_{n}\) において、 \(n~=~2^{m}\) を満たす様な n と m について、\(~S_{n}~\geq~1~+~\frac{m}{2}\) を満たす
となるわけだ。
ところが、ROYGBさんは \(~S_{2^{m}}\)
という表記だけをみて勘違いしたわけだ。
これは、\(S_{a}\) という表記を、「自然数のべき集合」に対応する様に拡大するものだ
と。
ここから混乱を防ぐのに、\(S'\)
を、ROYGBさんが解釈したであろう意味で使うことにして書き直してみよう。
ROYGBさんは \(~S_{2^{m}}\)
という表記を見て、
\(~S'_{\phi}~=~?\)
\(~S'_{\{1\}}~=~S_{1}\)
\(~S'_{\{1,2\}}~=~S_{1}~+~S_{2}\)
:
:
\(~S'_{\{1,2,3,~...\}}~=~S_{1}~+~S_{2}~+~S_{3}~+~...\)
となるような \(S'_{a}\)
を頭に浮かべてしまったのではないだろうか?
ということ。
もちろん、「テトラちゃんとハーモニックナンバー」ではこの様な \(S'\)
が出てくる余地は無い。
その様な \(S'\)
を想像して、ROYGBさんのエントリを読んでみると……なんとなく言いたいことは伝わってくる。
\(S'_{a}\)
について考察してみよう。
\(S'_{a}\)
の a が取り得る値は「自然数のべき集合」の範囲だ。
「自然数のべき集合」の中には有限集合の元もあれば、無限集合の元も存在する。
a が「有限集合の元」の時のみ、\(S'_{a}\)
は値を持つ。
a が「無限集合の元」の時、\(S'_{a}\)
は値を持たず発散する。「僕」の言葉を借りれば「数として扱わない」ってことだ。
\(S'\)
は間違いなく、連続無限集合と1対1対応して考えるべき「もの*1」だ。
だけど\(S'_{a}\)
で、aを「無限集合の元」に限定すればそれは可算無限集合で、\(S'\)
も可算無限集合と1対1対応して考えることができる「もの」になる。
こんなところでどうでしょう?
■オイラーの定数
p34 にでてくる
文中で「僕」が研究してた《ずれ》
なんですけど、今なんとなく、
を読んでいたら出てきました。
p250
しかし,この数の正体はほとんど分かっておらず,無理数であろう,と予想されてはいるものの,それさえ未だ定かではない。
だそうで。
■入学式
子供の小学校の入学式だった。
子供達はみんなちゃんとおとなしく座っていて立派なのに対して、父兄席は(一斉に)ビデオカメラを持ち出したりひそひそ話をしたりで騒がしいこと。
……うーむ。
*1 適切な用語が思い浮かばない。

